カンボジア・タイムズ

カンボジア×哲学

支援活動をしてお金を得ると非難される。

 

国際協力=ボランティア?

Tedスピーチの中で、こんなことを言っている人がいました。

営利セクターだと賃金が上がりますが、非営利団体がお金でスタッフのやる気を起こさせ、福祉サービスを向上させるのは好まれません。私たちは 人助けをすることでお金を稼ぐという考えに不快感を持っています。人助けをせず大金を稼ぐという考えには不快感を持たない、というのは面白いですよね。例えば 暴力的なゲームを子供に売って50億円儲けたいなら、頑張れと応援してwired誌の表紙に載せるんです。しかし、マラリアの子供のために5千万円を集めようとすると、寄生虫のように扱われてしまう。

ダン・パロッタ『チャリティーに関する考え方は完全に間違っている。』

 

そうなんです。

「非営利」っていう言葉を勘違いされている方が多くて、「非営利」を「お金儲けをしない」という意味で捉えてしまっている方々がよく見受けられます。

 

非営利の意味なんかはこの記事で詳しく書いていますのでまだの方はぜひ。 

tatsuyatanaka.hatenablog.com

 

「非営利」組織であっても、組織である以上運営していくのにはお金が絶対に必要なのです。

 

寄付されたお金を支援費のみに回してしまったら、事業自体が成り立たない。

寄付されたお金はできる限り「支援費」に回したい。

けれど、組織を運営するためには支援費以外のお金も必要になってきます。

 

例えば「広告費」。

非営利セクターの活動が円滑に進むためには寄付金が必要です。

その寄付金を集めるためには、色んな人に自分たちの活動を知ってもらう必要があります。

それもできる限り多くの人に。

 

また、組織の内部にいる人間も「生活」しているわけで、彼らに対しても相応のお金を払わなければなりません。

そこで「人件費」が発生します。

 

しかし、 余裕がない組織がほとんどです。

だからブラック企業も真っ青な待遇で働いている方々も少なくありません。

 

「非営利」団体であっても、清貧である必要はない。

「清貧」っていう言葉、好きな人多いですよね。

 

お金がないにも関わらず、利他精神をもって誰かを助ける。

なんて美しいんだって。

その清貧さを、非営利セクターに求めてしまっているのではないでしょうか。

 

しかし、実際には営利団体と同じかそれ以上に貪欲にお金を集めていかないと事業

を持続させることができません。

 

事業が持続しなくても、先進国にいる人たちはなんも影響がありません。

結局割を食うのは現地の人々なのです。

 

倫理的であることと、倹約することを混同するとこうなります。私たちは運営費5%の手作り品のバザーの方が、プロを使って運営費40%になる資金集めより倫理的に良いと教わってきましたが、最も大切な情報が欠けています。実際の収益総額はどのくらいなのかという点です。バザーなら運営費がたったの5%でも収益金もちっぽけなら、何の意味もありません。バザーは 規模拡大の投資がないから7,100円の収益金しかなく、プロが規模拡大投資をすると71億円の収益金が出るとしたらどうでしょうか?さて どちらの総額が良いですか?飢えている人だったらどちらの総額の方がいいでしょうか?

ダン・パロッタ『チャリティーに関する考え方は完全に間違っている。』

 

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カンボジアで現地採用―今、月収25000円で過ごしています。

以前、僕はこんな記事を出しました。

 

tatsuyatanaka.hatenablog.com

 

あれから三か月、今の僕の月収は25000円です。

250000円じゃないです。 

 

なんか減ったね!

Maxでも一日5米ドル(500円)しか使えません。

 

 日々赤字を計上しながら過ごしているので、月末は有り金200リエル(100円の20分の1)なんてことも…。

 

でも、なんとか暮らしていけているわけで。

今回は日本で消耗している方々に向けて、新たな生き方を提示してみたいと思います。

 

お金の使い道

月収25000円でどう暮らしているか。

まず、10000円は家賃なので必ず毎月払います。

 

でも家賃で10000円は日本と比べれば衝撃的な安さではないでしょうか。

もちろんオンボロアパートではありません。

ファンもエアコンもあるので快適に暮らせています。

 

これで残りは15000円。

この15000円が自由に使えるすべてのお金です。

 

僕は、このお金のほとんどを食費に費やしています。

 

一日の食費。Max5ドル(500円)

朝ごはんは1ドル(100円)でおなかいっぱい食べれます。

 おすすめは、この二種類のノンバンチョック(そうめんみたいなの)。カレーのノンバンチョックは濃厚だし下のノンバンチョックはさわやか。

最近の朝ごはんは毎日のようにノンバンチョック。

 

ただ、ノンバンチョックは移動式の屋台が売っていることが多くてガイドブックにもほとんどのっていません。僕は毛沢東通りの屋台でいつも買ってます。

 

これで残り4ドル。

 

昼ごはんは職場で出るので無料!やったね!

 

途中水を買って-2000リエル(約50円)。

おやつも大体毎日食べます!

 ↑こういうの。甘いものは正義。大体2000リエルくらい。

 

これで残り3ドル。

夕飯を屋台で食べれば1.5ドル余ります

 

 ただ、カフェで食べてゆっくりしたくなることも多いです。

 カフェで食べると3~5ドルくらいします。

なので、ぎりぎりか、赤字…。

 

結論!食べたいもの食べて一か月25000円でもなんとかなる!

僕は美味しいものが大好きなので、あまり我慢はしてません。

それでも、月収25000円で、カンボジアなら生きていくことができます。

 

仕事で疲れ果ててる方はぜひ来てみてください。いいとこですよ。

 

 

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NGO・NPOを批判的に考えてみる。―NPO職員からの反NPO論―

学生時代から現在に至るまでずーっとNGONPO界に身を置いてきました。

NGONPOが自分の考えに合っているからそうしているのですが、一方でNGONPOという組織形態にも限界や問題点があります。

 

NGONPOに対し否定的な意見を持つ人も少なくありません。批判されている事柄ももっともだなと思う部分が多いです。

 

そこで、今回はNGONPOが批判を受けていることがらについて考えていきます。

 

  

そもそもNGONPOって何?

よく聞く言葉だけど、そもそも何なのかよくわかんない言葉。

名前が似てるし違いがわからない言葉。

 

それがNGONPO

 

まず、二つの用語を説明することにしましょう。

 

NGONon Goverment Organization(非政府組織)の略。国際会議の中で、国家の連合体である国連に対し「自分たちは特定の国家(政府)とは関係のない組織である」ということを示すために使われたのがはじまりです。だから「非政府」組織なのです。

ちなみに、NGOは名乗りたければ誰でも名乗ることができます。

 

NPONon Profit Organization(非営利組織)の略。この「非営利」を勘違いする方が多いのですが、ここでいう「非営利」は「お金稼ぎをしてはいけない」という意味ではありません。(お金稼ぎをしないと組織が存続できない。)また「給料を職員に払ってはいけない」という意味でもありません。(給料を払わないと職員は生活できない。)

会社は株式を発行し、株主になってくれた人に対して配当金や優待を与えることができます。しかし、NPOはそれが禁止されているのです。

「稼いだお金を会員と山分けしてはいけない。」(あと職員に賞与を与えてはいけない)

そういう意味で「非営利」なのです。

ちなみに、NGOと違ってNPOは誰でも名乗ることはできません。法律によって定められた規則(年に一回総会を開かないといけないとか、年次計画書や財務諸表を行政に提出しないといけないとか)をクリアした組織に与えられる「法人」なのです。

 

だから、よく「NGOは国際的な組織」で「NPOは国内で活動する組織」って考える方がいますが、それは半分あってて半分違うことになります。

 

NGOを名乗る団体はほぼ確実に国外に活動地を持っています。

そうでなければ「非政府」を名乗る意味がないからです。

だから、「NGOは国際的な組織だ」という意見は当たっているでしょう。

 

一方でNPOだから国内で活動しているとは限りません。NPOという法人格を持っているかどうかを表しているだけなので、NPOでも国外に活動している組織はたくさんあります。

 

また、NGONPOを両方名乗っているところも多いです。というか、「非営利」な体制を取ってて国外で活動している団体の多くは両方名乗っていると思います。

 

もちろん、上記で示した違いは定義上の違いであって、一般的な認識レベルでは「ほとんど同じもの」として扱っていいと思っています。

 

それでは、いよいよNGONPOの批判的論考に移っていくことにしましょう。

 

 

批判1:NPOの活動は持続しにくい。

これはよく言われる批判で、僕自身も感じていることです。

NGONPOは基本的に「社会的弱者」と呼ばれる層を対象に支援活動を行います。

だから、彼らからお金を取ることはできない。

代わりに先進国に住む「支援者」や「会員」と呼ばれる人たちから会費や寄付を募ってそれを運営資金にするのです。

 

月に一回、定期的に集められる会費が一番持続性があります。だから会員が多くて会費で十分運営資金を賄える団体は安定しています。

ただ、会費を出す側から考えれば、定期的に出費があるわけで、そうすると「会員ってハードルが高い」ってなるわけです。だから会員を集めるのは大変なのです。

 

一方で寄付は一回お金を出せばいいのでハードルも低い。だけど、瞬間的に集まるだけなので、寄付金を使い切ってしまうと一気に窮地に陥ってしまいます。

 

(ちなみに、助成金っていうボーナスがあるけど、これをゲットするのは厳しい競争を勝ち抜かなければならない。)

 

NGONPOの多くは寄付金に依存しているのが現状です。

だからお金に困窮しやすい。お金が少なくなってくると、プロジェクト途中であってもプロジェクトの縮小・中止という選択を取らざるを得ないのです。

 

それが、「NGONPOの活動に持続性がない」と言われる理由なのです。

 

 

批判2:NPOの活動は対等じゃない。

ビジネスだったら「売る側」と「買う側」に分かれます。

そこにはなんら権力関係はありません。

「お金」という対価があるので対等でいられるのです。

 

一方でNGOなどが行う「支援活動」はどうでしょう。

そこには「支援する側」と「支援される側」が存在することになります。

もちろん、「支援する側」は一方的な関係にならないように最大限に心を砕きます。

 

けれど、それでも「完全に対等」になれるかというとかなり難しいです。

 

批判3:NPOの活動は本質的じゃない

この批判もよく耳にします。

 

この間お会いした方もNGONPOの活動に批判的でした。

彼はこう言っていました。

 

この世界に起こっている問題のほとんどは貧困が原因だ。ビジネスだったら、自分の会社で雇用し、彼らに賃金を払うことができる。だけどNGONPOの活動の多くはここに直接アプローチできないじゃないか。もちろん、彼らの支援活動を全否定しているわけじゃない。だけど、どこか本質的じゃない気がするんだよね。あくまで応急処置に過ぎないというか。

 

この批判にも十分向き合っていかなくてはいけないですね。

 

 

NGONPOの存在は無意味なのか?

ここまで聞くと、じゃあNGONPOに価値ないじゃん!って思われる方もいるかもしれません。

 

僕は、それでも現状を踏まえるとNGONPOはまだ必要なのかなと思っています。

その理由は一つ。

 

最も支援が届かない人々にまで支援を届けられるのはNGONPOしかないと思っているから。

 

ビジネスでは、雇用するにしても、何かを売るにしても、どうしても「条件」が必要になってきます。

何かを売る場合は、やはり支払い能力がない層には何も売れません。

雇用する場合も、何も能力がなければ難しいです。

 

例えば、プノンペンの路上でよく見かけるような、「肢体と精神に障害があるホームレスの人」はビジネスではどうしても「対象外」になってしまいがちなのです。

 

国際機関のような大きい組織でも、個別に行動していることが多い彼らは支援の網から零れてしまいがちなのです。

 

そうした方々に対してまで、支援の手を伸ばすことができるのはNGONPOだと思っているし、それがNGONPOの存在意義なのだとも思っています。

 

 

最後に

最終的には、NGONPOの仕事はなくなることが理想です。

NGONPOは問題があるから存在している組織なので。

 

いつか、NGONPOが無くなるその日を目指して。

 

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世界を記録してくれるカメラ。それでも僕はカメラが怖い。

美しくも不条理なこの世界。カメラはそんな世界をずっと記録してくれる。

「僕が今見えている世界(社会)」。

このブログの一番大きなテーマです。

 

地球は美しく、そこには生命が息づいている。

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 人々もそんな地球に生まれ、カラフルに彩られた世界(社会)を形成している。

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一方で、ときに世界は理不尽で暴力的でさえあります。

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カメラは、世界の美しさも、世界の歪さも記録することができます。

写真で世界の一端を伝えることができます。

 

ほんとなら、僕も写真で色んな世界を伝えたい。

それこそ、世界の美しさだけでなく、世界の歪さも。

 

問題は顕在化しなければ、問題にさえならないから。

 

でも、僕はカメラを人に向けるのが怖いのです。

 

レンズが銃口に見える。

カメラを向けることによって、世界を恣意的に切り取っている気がする。

カメラを向けることによって、人を見世物にしまっている気がする。

 

以前、Twitterでこんな議論がありました。

 

これに対して、僕はこう反応しました。

 

…と僕はどっちつかずなことを言っていました。(ちなみにこのツイートで誰かを非難する意図はまったくないです。念のため。)

 

いまだに何が正解なのかはわからぬままです。

 

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カンボジアの色んなご飯たち

怒涛の飯テロです!!

 

 今思うとこれは豚肉ではなくて鶏肉だった気が…。

 

 

おなか空いたな。今宵は何を食べようか。

 

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外部者によって「つくられていく」子どもたち。

カンボジアの子どもは日本よりかわいい!」

っていう声を学生団体時代よく聞きました。

 

いや、今でも聞きます。

しかし、もしかしたら外部の視点から見ている子どもたちの姿は、誰かによってつくられているのかもしれません。

 

 

メディアによって発信されている「子どもたちの姿」は、多かれ少なかれ「切り取られた」ものです。

そして、外部の人たちが訪れたときの「子どもたちの姿」もまた「つくられた」ものです。

 

子どもたちは、目の前にいる大人によって振る舞い方を変えることができる。

 

それは、大人たちによって振る舞い方を「矯正」されるから。

 

一面的な受益者の姿だけでなく、想像力を働かせて多角的に考える。

これは、教育支援に限らずすべての「支援活動」に言えることです。

 

 

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あなたが見た美しさの陰に、誰かの苦しみがあるのかもしれない。

https://www.instagram.com/p/Bd2ZykZhM2K/

今日もいい一日だった。 #カンボジア

https://www.instagram.com/p/BePw1QfBABF/

タイムラインが雪の写真ばかりだからあえての朝日。#カンボジア

 

僕の職場はリバーサイドの方にあります。

だから、行き帰りによく川辺に座って水面を眺めています。

 

 

リバーサイドはとても美しい。

急速に発展し、おしゃれなお店もいっぱいある。

 

親子がバドミントンしてたり、奥様たちが不思議な踊りを踊っていたりしている。

 

トレーニング器具を備えた公園だってある。

 

 

しかし、その道端には

痛々しい傷を見せながら物乞いをしている人がいる。

 下水の臭いにまみれながら生活をしている人がいる。

 

 

 世界は今日も不条理で満ちている。

 

僕は彼らに対して、どれだけできるだろうか。

 

 

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