カンボジア・タイムズ

カンボジア×哲学

あなたが見た美しさの陰に、誰かの苦しみがあるのかもしれない。

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今日もいい一日だった。 #カンボジア

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タイムラインが雪の写真ばかりだからあえての朝日。#カンボジア

 

僕の職場はリバーサイドの方にあります。

だから、行き帰りによく川辺に座って水面を眺めています。

 

 

リバーサイドはとても美しい。

急速に発展し、おしゃれなお店もいっぱいある。

 

親子がバドミントンしてたり、奥様たちが不思議な踊りを踊っていたりしている。

 

トレーニング器具を備えた公園だってある。

 

 

しかし、その道端には

痛々しい傷を見せながら物乞いをしている人がいる。

 下水の臭いにまみれながら生活をしている人がいる。

 

 

 世界は今日も不条理で満ちている。

 

僕は彼らに対して、どれだけできるだろうか。

 

 

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自分の人生は自分のもの。

 

 

人生は自分でデザインできる。

 就活をする前、多くは「自分がなりたいもの」を探していた。

でも、就活をしていくうちになぜか「自分でもなれるもの」を探す人が増えていった。

 

人生で一番自由な時期は「大学生時代」って言う人は多いけれど、本当の自由はむしろ卒業したあとにやってくる。

 

「いくらお金を稼ぐのか」

「どこで何をするのか」

 

集約すれば

「自分はどう生きていくのか」

ということを、自分自身で決めていくことができます。

 

今までにない圧倒的な自由が「学生でない自分」には与えられるのです。

 

 

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九歳の少年と神について語り合った日。

以前の記事でも書きましたが、私のステイ先には、クメール語と英語と中国語を操る九歳の少年がいます。

(最近はタイ語と日本語も勉強しています…。なんてこった!)

 

関連記事

tatsuyatanaka.hatenablog.com

 

今日のお話は、そんな少年と神について語り合ったお話。

 

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神様も僕らと同じ人間なんだ。

僕:神様っていると思うかい

少年:僕はいると思うよ。

 

僕:どこにいるんだろうね。

少年:普段は天上にいるよ。

 

僕:僕らは神様を見ることができるのかな?

少年:ううん、できないよ。僕らの力じゃ、人間の力じゃ、見ることも触ることもできないんだ。

 

僕:それでも、神様がいるってことは知っているんだね。

少年:そうだよ。たとえ見れなくたって、僕らは「感じる」ことができるんだ。信じてさえいればね。

 

僕:結局、神様ってどんなものなんだろうね?

少年:人間だよ。神様は僕らと同じ人間なんだ。だから、僕らは神様のことが「わかる」んだよ。

 

 

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【カンボジアと障害者】彼は言った。この世で一番不幸な人間は耳が聞こえない人だと。

あちらもこちらもバリアだらけ!

カンボジアでは、日本とは比較にならないくらいバリアが多くあります。

僕が住んでいる首都プノンペンでさえそうなのです。

 

・まず信号がないエリアばっかり。あってもバイクが飛び出してくる。

・歩道は段差があって車イスでは登れない。奇跡的に登れても車がある。(カンボジアは駐車場がほとんどないため)

・仕方なく車道の端っこを走っても、そこはバイクが逆走してくるところ。

・エレベーターがある建物はごく一部のホテルか大型スーパーに限られる。

・もちろんスロープなんてものもありません。(恥ずかしながら、僕の職場も階段を上がって行かないと中に入れない設計になっています。)

 

このように挙げていたらきりがないくらい、たくさんのバリアが存在しているのです。

 

 

仏教と障害者への眼差し

それでも、カンボジアにだって障害を持っている方々が住んでいます。

現況は、かなり厳しい。

 

それに追い打ちをかけるのが、彼らに容赦なく降り注ぐ「眼差し」。

 

カンボジアに住んでいる人々のほとんどは仏教(小乗仏教)を信仰しています。

しかし、その仏教こそがカンボジアにいる障害者を追い詰めている一因になってしまっているのです。

 

仏教において、障害は前世の業があるから生まれてしまったのだとみなされています。

だから、親戚の中で障害児が生まれてしまったら必死に隠そうとする人が多いです。

 

 

友人の一人は、とても熱心な仏教徒です。

彼はある日言いました。

「この世で一番不幸な人間は、耳が聞こえない人だ。仏様の教えを聞くことができないから。彼らを救うすべは無きに等しい。」と。

 

それでも、希望はある。

今までなかったクメール語の手話が、最近確立した。

その手話を使って、彼らとコミュニケーションを取っている人々を僕はホテルの中で見かけたのです。

 

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年収50万円で、僕は自由に生きていく。

まだ僕が日本にいるときに、「これからカンボジアNPOで教育支援をすることになった!」とか言ってたら、必ずと言っていいほどこのような質問がありました。

 

「給料は出るの?いくらもらえるの?」

「その給料だけで生きていけるの?」

 

正直な話、もっと聞いてもらいたい質問はたくさんあった。

なのに福利厚生の質問がやけに多かった気がする。

 

やっぱり「アウトロー(だと思われている)」選択肢を選ぶことは「怖い」のだろうか。

 

 

その「怖さ」を今日は解いていければなと思っています。

そして、もっと色んな人が多様な生き方を選択してほしい。

 

僕の月収は約50000円です。

ひと月50000円の所得。

日本では、この月収で一か月生きていくことはほとんど不可能です。

けれど、カンボジアだったらそれが可能になんです。

 

なぜなら、日本に比べてはるかに物価が安いから。

 特に食費はローカルフードを選べば、一日500円もかかりません。

 

5000リエルは150円くらい。

 

 このボリュームで4000リエル(100円くらい)。

 

 近くの屋台のパンは一つ約25円!!

 

移動費は自転車を買えばタダだし、家賃も平均して10000円代。

 

・・・意外と暮らせそうじゃないですか?

 

仕事って結局は生き方そのものなんだ。

就活を今している人、またこれからする人に言いたい。

仕事選びは会社を選ぶことでも職業を選ぶことでもない。

 

生き方を選ぶことなんだ。

 

 

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カンボジアでホームステイ!メリットとデメリットをあげていくよ。

アメリカとかオーストラリアでホームステイはよく聞きます。

 

でも、カンボジアだってホームステイ(カンボジア人と一緒に住むこと)はできる!!

 

ただ、やろうと思っていても、前例が少なかったりで中々イメージしにくいという声もあるかと思います。

 

そこで、今日はカンボジアでホームステイするメリットとデメリットをあげていくことにします!

 

メリット1:地元民の生活がわかる!

カンボジアに近づきたい僕にとって、このメリットはとても大きかった。

今までは外から地元民の生活を覗くしかなかった。けれど、一緒に住めば「内側から」見ることができます。

 

 

 

 上のツイートの写真にあるコンロの使い方、最初は全然わかりませんでした。つまみをひねっても、ただガスが出るだけ。そのつまみをひねった状態のまま写真二枚目のチャッカマンのようなものを使うことで火が出ます。

発見がいっぱいだね!

 

 メリット2:クメール語に浸かることができる!

全部発音が合うまで帰れま10。発音が違った瞬間に始めからやり直しになります。鬼教師を努めているのはクメール語と英語と中国語を自在に操るスーパー9歳児。

 

家に帰っても、使われる言語はクメール語メインなので、思いっきりクメール語の海に浸かることができます。

 

上のインスタグラムのように、スパルタで教えてくれます!

 がむばらなければ…。

 

メリット3:カンボジア人との繋がりが深まる!

一緒に住むためには気も使わないといけないし、一人が割と好きな僕にとっては勇気がいる決断でした。

それでも、カンボジア人との繋がりが増えたり深まったりするのはとてもうれしい。

 

カンボジア人にしか見えないカンボジアの姿、それを僕も少し垣間見れるかもしれない。

 

 

メリットだらけと言いたいところですが、デメリットももちろん存在します。以下にあげることは慣れるのに時間がかかりそうです…。

 

デメリット1:シャワーが冷水のみ。

これが個人的には一番大変かもです。

 

普段カンボジアはとても暑いので、全然前きたときは問題なかったのですが、この時期(12-1月)は朝夜はかなり涼しいです(17-20度くらい)。

 

17度で冷水は想像以上に冷たいです。

そのため、リラックスタイムだったお風呂は今や修行の時間になりました。

 

 

ただ、一般的なカンボジア家庭は水シャワーが普通なので、カンボジアに近づきたいなら慣れるしかない。

修行ですね!

 

デメリット2:洗濯が手洗い。

洗濯自体あまり好きではないのですが、それが手洗いとなるとかなり大変。

これも修行ですね!

 

デメリット3:外に出るのはちょっと大変。

カンボジアの特にプノンペンのような都市部では、ほとんどの家が泥棒が入ってこないように厳重な鉄格子のような扉を使っています。

その扉は南京錠でロックされているのですが、外からロックかけられている場合は小さな扉から手を伸ばして南京錠を開けなければなりません。

はじめは結構苦労しました。

 

 

色んなことがありますが、楽しく毎日を送れています。

アメリカ、オーストラリアのホームステイの代わりに、カンボジアのホームステイを推していきたい。

 

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学校や教師が「正解」を教える必要はありません。

学校という「監獄」

学校(特にここでは、一般的な日本の学校を指す)ではテストで一つの答えを探すことを余儀なくされます。

それどころか、頭髪から服装、言動、立ち振る舞いに至るまで。

 

その「正解」は誰が決めるのか?

 

それはまぎれもなく学校であり教師です。

そこで教師は絶対的な権力者として君臨し、生徒たちを支配していく。

 

彼らが決めた「正しさ」に従属するように生徒は強制される。

「従属者」であるように強制された生徒たちは、教師によって主体性がはく奪されていくのです。

 

 

20世紀を代表する教育思想家であるパウロフレイレは自らの著書の中で、こうした「教師が生徒に物事を一方的に教える教育」を「非人間化を推し進める教育」だとして痛烈に批判しています。

 

教師は生徒の管理者であってはならない。

 

これがフレイレが一番言いたかったメッセージなのだと思っています。

(詳細を知りたい方はフレイレの『被抑圧者の教育学』をぜひご覧ください!)

 

この社会は「絶対的な正しさ」が存在しない世界。

社会の中で「一つの正しさ」なんていうものはありません。

強いて言えば、人の数だけ正しさがある。

 

なのに、学校の中ではひとつの「正しい規範」に従属するように強制される。

 

ここが学校という場所が抱える矛盾ですね。

 

答えがない世界の中で、「自分がどうありたいのか」考えなければならない。

そのためには「主体的に想像する力」が必要になってきます。

 

それは「教師が生徒に一方的に正解を教え込む教育」(=フレイレの言う「銀行型教育」)では育まれえないのです。

 

僕は道徳ではなく倫理を教えたい。

同じだろ!っていうツッコミが聞こえますね。

でも、僕の中では明確な違いがあります。

 

僕の定義では

道徳とは何が善い行いなのかを一方的に教え込むこと

倫理とは何が善い行いなのかを自分で考えること

となっています。

 

繰り返しになってしまいますが、答えのないこの世界で「本質」を見極める力は、一方的に答えが提示される「道徳」でば育まれえないと確信しています。

 

たとえば

「人は多くの動物や虫や植物を毎日のように殺している。なのになぜ人殺しをしてはいけないのか?」

みたいな問いは、銀行型教育だけ施されたロボットには到底答えることができません。

 

このような問いに答えるためには、まず「主体的に問いを立て、主体的に思考する能力」が必要になってくるのです。

 

そのためにも、道徳ではなく倫理を。

 

子どもたちが権威に従属しないように。

子どもたちが常識を妄信しないように。

 

何より、子どもたちが「人間として」主体的に生きれるように。

 

 

(今回、カンボジアで教育支援を行うことになったので、このような記事を書き記すことにしました。) 

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