カンボジア・タイムズ

カンボジア×哲学

大きな主語で語るのをやめよう。

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「すぐ退職なんてしたらこの先やっていけないぞ。社会は厳しいんだぞ。」

カンボジア人ってマイペースだよね。一緒に仕事するの大変。」

「女なんだからサラダくらい配りなさい。」

「男なんだから重たい荷物を持ちなさい。」

 

 

以上の文はすべて「社会」「カンボジア人」「女」「男」という「大きな主語」で語られています。

 

ありとあらゆる場所でこういった「大きな主語」は使われていますが、「大きな主語」で語られてしまうことで抑圧されている人がいる。

 

「大きな主語」を語った相手が持っている常識の範疇に自分が存在していない場合、とても居心地が悪いんです。

相手の常識に自分が当てはめられている気がして。

 

例えば、僕は引用箇所の最後の一言、「男なんだから重たい荷物を持ちなさい」と言われるのが昔からとても嫌でした。

まず、僕は昔から非力でした。腕立て伏せ三回以上できたことないと思う…。

そう言うと、今度は「男のくせに腕立て伏せもできないなんて!」と言われるわけです。

 

もう一つ、より社会的な観点から考えてみると、今現在抑圧されているような集団は「大きな主語」から完全に排除されています。

逆に言えば、大きな主語で語られることのない集団がマイノリティであるとも言えます。

 

レディファーストが声高に叫ばれることで傷ついている存在が、いま隣にいるのかもしれない。

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