カンボジア・タイムズ

カンボジア×哲学

僕が目指す世界―それは「分かり合うこと」が強制されない世界だ。

以下の引用は、僕が四年前に別のブログで書いた記事です。(2017年現在閉鎖中)

 

人は決して分かり合えない

「人は分かり合えるんだ!」


始めに言います。
そんなのは欺瞞です。ありえません。

もし、本当に分かり合えるなら、戦争なんて起こりません。

たとえ「分かり合えた」ように見えても、それは偶然にも見解が一致しただけです。
分かり合えたわけじゃない。

分かり合うには、同じ思想、同じ想いが必要です。


しかし、完全に同じ考え方をする人なんているはずありません。
それこそ千差万別の考え方があるはずです。

それにもかかわらず、ほとんどの人が「人は分かり合える」と思ってる。
これが問題なのです。

分かり合えると思ってるから理解を示さない者に対して、
「なぜわからないんだ!?」ってことになるんですね。

そして、多くの悲劇が生まれる。

「人は分かり合える」という言葉は美しいですが、
裏には「異分子は排斥する」という極めて危険な思いがそこにあります。


自分と他人は違う個体だから考え方も違う。分かり合うことなんてできない。
その認識があって、はじめて理解が生まれます。

「人は分かり合えない」という自覚があるからこそ、
自分と異なる考え方も受け入れようと思えるのです。

 

以上、過去ブログから引用

 

 

かなり書き方が過激だ…。あの頃は若かった。

 

大切なことは相手のことをわかった気にならないこと。

「他者は分かり合えない存在なのだ」ということをお互いが共有すること。

その上で相手の存在すべてを受容することです。

 

Twitterで「他者は分かり合えない」ことのいい例がタイムラインに流れてきました。

 

 

「分かり合うこと」が強制される世界では、声なき声は駆逐されてしまう。

 

人が分かり合うことは決してない。

それでも分かり合うことを強制されればどうなるか。

 

強制的な「妥協」が生まれます。

 

誰が妥協を強制されるのか?

 

声が小さい集団(マイノリティ)が妥協するのです。

もっと言えば、声が小さい集団(マイノリティ)が声の大きい集団(マジョリティ)の論理に従属させられるのです。

 

理想は、カラフルだけど色が混ざり合わない世界。

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絵具を混ぜると別の色ができます。

ただ、やってみるとわかりますが、薄い色と濃い色を混ぜると薄い色はほとんどなくなってしまいます。(レモン色と黒色みたいな)

 

分かり合うことを強制される世界というのはこれと同じです。レモン色のようなマイノリティは黒色のマジョリティに駆逐されてしまう。

 

一方で下のモザイク画はどうでしょう。

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絵具と同じようにカラフルですが、混ざり合っていません。

 

僕のビジョンは「世界から独りぼっちをなくす」こと。

誰も排除されない世界を目指すこと。

 

そのためには、それぞれが自分がいたい「居場所」を見つけつつも、自分と異なる意見を持つ他者をお互いが理解しようとすることが必要になってきます。

 

このモザイク画のように。

 

今虐げられていると感じている方々へ。

 

 

無理して混ざり合うことはない。

「わかってもらえない」と思い悩むこともない。

 

なぜなら、人は元々分かり合えない存在なのだから。

 

だから、分かり合えなくても理解しようと懸命になってくれる人のところにいこう。

 

自分の居場所は、モザイク画の一ピースになる。