カンボジア・タイムズ

カンボジア×哲学

哲学って何?哲学って役に立つの?―その問い、哲学科卒が答えます!

哲学科あるある―ある日のできごと。

「大学では何を専攻してるの?」

「哲学やってるよ!」

「(長い沈黙)…。そうなんだ!なんか難しそうだね!

…でも、それって何の役に立つの?

 

哲学やってるんだ!っていうと高確率で聞かれるもの、それが

「哲学ってなんの役に立つの?」

という質問です。

 

みんなのなんとなーく哲学に持っているイメージはこんな感じではないでしょうか。

 

ソクラテスが「無知の知」みたいなことを言ってたな…

「でも自分は何も知らないということを自分は知っている」ということが分かったところで何の意味があるんだ?

知ったところで何の役にも立たないものなのに、彼らはずっと思い悩んでいる…。

 

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こんな感じで。

 

こんなに役に立たなそうなことなのに、なんでこんなに考えているんだろう?

 

哲学とは、「考えるということを考え続ける」ということだ。

僕は、哲学は「勉強」ではないと思っています。

だから、「ソクラテス無知の知を主張した」みたいなことを覚えても哲学においてはほとんど無意味です。

 

僕の中では、哲学とは「考え続けること」そのものだと思っています。

 

「考えることそのもの」に「役に立つ」という形容詞は当てはめられません。

 

みんな考え事をすることはあると思います。

でも、その考え事に対して「これは一体何の役に立つのだろう?」って考えたりしないでしょ?

 

というわけで、哲学においては「何の役に立つの?」という問いはそもそも成り立たないのです。

 

では、普通の考え事と哲学の違いは何か?

 

大きく二つ。

 

一つは「段階の違い」。

もう一つは「かける時間の違い」です。

 

違いその1:哲学的に考えれば考えるほど "What" に近づく。

例えば、「怒り」をテーマにして考えてみます。

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みんなは「怒り」に対してどのように考えますか?

 

・「どうしたら怒りを鎮められるんだろう?」

・「どうして怒るんだろう?」

・「そもそも<怒り>ってなんだろう?」

 

後ろの質問になればなるほど段階が下がっていきます。

言い方を変えると、後ろの質問になればなるほど「哲学的」になっていきます。

 

逆に、前の質問になればなるほど「施策的」になっていきます。

 

哲学とは、原理を深堀していくものなのです。

 

普段の考え事では「一番はじめの段階から考える」ということは中々しません。

 

違いその2:哲学には疑問に対する強い「執着心」がある。

いつもの考え事だったら、わからなければ考えることをやめます。

ググったりしたりしながら答えを探すでしょう。

 

しかし、哲学においてはそれはありえません。

 

哲学とは「考え続けるということ」。

一つの疑問に執着心を持って考え続けます。

 

「人は<死>から逃れられないのに、なぜ<生>を選択するのか?」

「<私>って何なのか?どこからどこまでが<私>って言えるのか?」

 

みたいなことをずーっと考えること、それが「哲学」のもっとも根本的な部分だと思っています。

 

 

最後に、僕が同級生に聞いた「哲学とは何か?」に対する返答が強く印象に残っているのでそれを書いて結びとします。

 

哲学はほんとうにちっぽけでこの社会においてなんの意味もなさない。文章の読解をやるんだったら文学のほうががいいし、抽象的なことを考えたいんだったら数学のほうが抽象的なことをやっている。

けれど、こんなに一人の人間に向き合い、葛藤する学問は他にないと思う。